こんにちは。勉強不足の社会福祉士takuma(@takuma3104 )です。
大学時代、ろくに勉強せず遊び呆けてしまった結果、いまさらになってわが身の知識不足を悔やんでいます。そういうわけで、ここでは「わたしがもう一度勉強し直したい福祉分野のワンテーマ」をピックアップし、一から勉強し直してみようと思います。さらには、これをご覧のあなたとも、学びをシェアしていけたらないいぁ、なんて思いで書いております。
というわけで、今日の学びはこれです。
「なぜ恤救規則の対象は無告の窮民だけだったのか?」
恤救規則?なんのこっちゃ…
「恤救規則」といえば、日本の社会福祉の歴史を勉強すると必ず目にする言葉です。
目にはしますが、まず読み方がわかりません…。
これ、「じゅっきゅうきそく」と読みます。
ハイ、これで読み方はわかりました。
それでも、勉強不足のわたくしtakumaにとっては、なんのこっちゃ感が拭い切れません。
まぁ、なんとなぁく、「あれでしょあの日本初のヤツ、困ってる人を救う的なヤツでしょ」みたいな感じでは覚えてますが、私のにわか知識が通用するのはここまでです。
素直に勉強し直してみたいと思いますので、一緒にお付き合いください。
貧しい人を助けるための制度
恤救規則は、日本ではじめてできた「救貧制度」です。救貧、つまり貧しい人を助ける制度ということです。今でいう「生活保護法」です。
じゃあ、恤救規則ができる前まで日本には貧しい人を救う制度がなかったのでしょうか?
実は、恤救規則ができる前にもそれぞれの地域で独自の救貧制度がありました。それを当時の明治政府がとりまとめて、日本全体の制度にしたんです。
1874年に制定された
恤救規則が制定されたのは、は1874年(明治7年)です。
伊藤博文や板垣退助など、歴史の教科書の有名人たちがバンバン活躍していた時代です。同じ年には、「佐賀の乱」や「台湾出兵」などが起きています。現在の警察庁の前身である「東京警視庁」が設置されたり、「読売新聞」が創刊されたのもこの1874年です。
だいぶ昔までさかのぼるわけですね。
「無告の窮民」とは?
恤救規則が救う対象にしているのは、「無告の窮民」に限られていました。
無告の窮民… これまた聞きなれない言葉ですよね…。
無告の窮民とは、簡単にいうと「身寄りがなくて貧しい人」ということです。具体的には「70歳以上のヨボヨボの人」、「13歳以下の子ども」、「障害者」などで、家族にも近所の人にも助けてもらえない人になります。
なぜ「無告の窮民」だけが対象なのか?
現在の生活保護法が対象にしているのは「生活に困窮している人」です。つまり、「貧しい人」であればそれだけで救済の対象になります。ほかに制限はありません。
一方で恤救規則は、「無告の窮民」を対象にしています。無告の窮民、つまり「対象者に年齢制限があり、かつ周りの人が誰も助けてくれない場合に限り国が救済する」という制度だったわけです。生活保護法と比べて、対象がだいぶ限られていたんですね。
なぜでしょう?
当時の社会通念
今でこそ「貧困は社会の責任である」という価値観の上に社会が作られていますが、当時「貧困は個人の責任である」という価値観が強かったわけですね。
「そもそも貧乏なのは自分が悪いんだし、自分でどうにかできないなら家族や親せき、隣近所で助け合って何とかするのがスジでしょ。それが人情ってもんでしょ。」
みたいな価値観ですね。要は、「公助に頼らず自分たちでどうにかする」というのが当時の社会通念だったのです。
この社会通念を「人民相互の情誼」って言うみたい
政府の思惑
当時は全国的に貧困者が多く、政府としてはこの問題を解決しないと国民から叩かれるのは目に見えていました。そのため、「貧困者対策やってますアピール」をする必要があったんです。
ですが、時の日本はまだまだ発展途上です。言い方は悪いですが、当時の政府としては「貧困者にかまっていられなかった」わけです。つまり、お金をかけたくなかったんですね。とはいえ、「政府は貧困者を救いません!」なんて明言すると反感を買ってしまいます。「貧困者政策をします」と言わなければならない。
そこで政府は、「人民相互の情誼」という社会通念をうまく利用したんです。
政府は、
その人が貧困なのはその人自身が悪いのであって、政府に責任はない。
この立ち位置を明確にします。
そして、そのうえで、
政府が国民を助ける責任はないけど、本当にどうしようもない人にはお恵みを与えよう。
これで、政府としては貧困対策をやっているというイメージを国民に持たせることができます。救済の対象を「本当にどうしようもない人」つまり、「無告の窮民」に限定することで、少ないお金で国民からの支持が得られるわけです。
これが、恤救規則が「無告の窮民」だけを対象にしている理由になります。
「貧困は個人の責任である」という社会通念を政府が利用して、支出削減のため最低限の政策しか行わなかったから
takuma的考察
これで恤救規則の話は終わりなんですけど、最後にわたくしtakumaの考察を入れさせていただきたいと思います。
恤救規則のときでさえ、「無告の窮民」だけは救われた
当時から147年が経ち、現政権は「公助」を謳っているものの、実際には補償なき緊急事態宣言が出され、生活困窮者の増加に歯止めがかからない
それでもわたしたち日本人は「人民相互の情誼」でがんばっていくしかないのかな
— takuma@生活相談員 (@takuma3104) January 18, 2021
明治政府は、恤救規則によって国民を政府が救うことを極力渋ってはいたものの、本当にどうしようもない人、つまり「無告の窮民」だけは救っていたわけです。ところが、現政権はどうでしょう。菅首相は「自助・共助・公助」を掲げ、「公助やります」「救います」と言っておきながら、実際のところは補償なき緊急事態宣言が出されるなど、国民はまるで救われていません。まだ恤救規則のときのほうが、本当に困った人は救われていたのでは?とすら思ってしまいます。
「言うならやれ」って思うんです。救えないなら「救えない」って、はっきり言ってしまったらいいと思うんです。そんな政府の煮え切らない様子に、国民は悶々としてしまいます。コロナウイルスは待ったなしですが、政府は行動を起こさない。結局のところわたしたちは、今も昔も「人民相互の情誼」つまり自助と共助によってわが身を守っていくよりほかないのでしょうかね。