福祉教養

なぜ1973年を「福祉元年」と言うのか?

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こんにちは。勉強不足の社会福祉士takuma@takuma3104 です。

大学時代、ろくに勉強せず遊び呆けてしまった結果、いまさらになってわが身の知識不足を悔やんでいます。そういうわけで、ここでは「わたしがもう一度勉強し直したい福祉分野のワンテーマ」をピックアップし、一から勉強し直してみようと思います。さらには、これをご覧のあなたとも、学びをシェアしていけたらないいぁ、なんて思いで書いております。

というわけで、今日の学びはこれです。

 

なぜ1973年を「福祉元年」と言うのか?

 

1973年といえば、わたしの大好きな英国のロックバンドQueenがデビューアルバム『Queen』を発表、日本ではこれまたわたしの好きなシンガーソングライター井上陽水が『夢の中へ』を発表した年です。認知症を題材としてベストセラーとなった有吉佐和子さんの『恍惚の人』が映画化されたのも、この1973年です。

わたしは1984年生まれなのですが、生まれる11年も前の出来事なんですね。

それにしても、「福祉元年」って、なんか響きがカッコいいですよね。当時が元年なら、今これを書いている2020年は「福祉47年」という計算になります。

それでは、そんな1973年がなぜ「福祉元年」と呼ばれるようになったのか、その背景を一緒に見ていきましょう。

田中角栄が「福祉元年」を宣言した

「福祉元年」とは、当時の内閣総理大臣、田中角栄によって宣言されました。のちにロッキード事件で逮捕されることになる、あの有名な田中角栄さんですね。

正直、「田中角栄さん」と「福祉」ってあんまり結びつきませんでした。田中角栄に福祉のイメージって、湧きませんよね?まぁそれはさておき、では一体なぜ田中角栄さんは「福祉元年」を宣言したのでしょう?

政治的キャンペーンとしての側面

田中角栄さんは、1972年に内閣総理大臣に就任しました。ときは高度経済成長の真っただ中です。国には豊富な税収が入っていました。国民一丸となって経済成長を遂げてきたわけですね。しかし、そこにはひとつの問題が生じていました。都市部と地方の格差問題です。角栄さんはそこに目をつけ、社会保障の拡充を目指したそうです。

田中内閣は1973年、国民福祉の充実と国際協調の推進を目指した、「経済社会基本計画」というものを打ち出しました。それに基づいて老人福祉法が改正され、70歳以上の医療費が無料化(当時はタダだったんですよ!)されました。年金制度も改正され物価スライド制が導入、受け取れる年金額が増えました。健康保険法改正では、高額療養費の制度が新たに始まりました。様々な政策が行われ、福祉の充実が図られた年となりました。そんなわけで田中角栄さんは「福祉元年」を宣言したのです。

まぁ政治の話なので本当のところはわかりませんが、角栄さんが福祉元年を宣言したのは、ポピュリズム(大衆迎合)のための政治的パフォーマンスといった見方をされることがあります。要は「大衆受け狙い」ですね。

福祉に金をばらまくことで、存在感=人気を獲得したかったということなのでしょうか。たしかに「福祉元年」と言ったら聞こえはいいですからね。そういった側面はあるのかもしれません。

田中角栄さんが福祉元年を宣言したのは、①高度経済成長で豊富な税収があったから②都市部と地方で格差が生まれてきたから③税金を国民に還元し大衆受けをねらったためである、とここではまとめておきたいと思います。

福祉国家への道は1年で途絶えた

しかし、事は順風満帆にはいきませんでした。同年の秋に、オイルショックが起こったのです。このオイルショックにより、1955年から続いていた高度経済成長は幕を下ろしてしまいました。日本は一転、不景気に見舞われます。「福祉元年」による手厚い福祉政策が、逆に財政を圧迫させてしまうという事態が起きてしまうのです。これは角栄さんとしても、想定外だったでしょうね。

国民としてもつらいです。せっかく国が福祉にお金を出すようになったのに、急に不景気になってしまうなんて…そりゃないよ。福祉47年どころか、福祉2年すら訪れなかったようですね。

とはいえ「福祉元年」以降社会保障は拡大した

とはいえ、一度行われた社会保障政策を止めることはできません。その後も社会保障費は伸び続けます。

出典:社会保障について-財務省

https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia301009/01.pdf

このあたり、田中角栄さんへの賛否が分かれるところだと思います。人気取りのために金をばらまくだけばらまいて、日本の財政をひっ迫させる原因をつくったと評価するか、いやいや、日本の国が福祉国家の道を歩むようになるきっかけをつくったんだと評価するか。どう受け取るかはそれぞれあると思うんですが、良くも悪くも「福祉元年」は、今の日本の社会保障の方向性を決定づける年となったことは間違いないようですね。

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