正方形にぴたりと収まる字の形は、本来の字の形ではない。
事務的必要性によって生まれた写字技術の発展に伴って、同じ大きさで同じ形の枠に入れる方が作業能率やコストにおいて有益だったからである。
小学生から高校生まで、書道教室に通っていました。
なので、習字はキライではありません。
勤務するデイサービスでたまに習字をすることがありますが、やっぱり楽しいです。
またやってみようかなぁ、なんて思いが沸き上がってきたときに出会った本がこの一冊
『もう一度書道を、という人のために』
タイトルが今のわたしの心境にドンピシャだったもので、kindleで手に入れました。
しかもkindle unlimitedだったから、定額読み放題。
ジェフ・ベゾス、おそるべし。
冒頭の文は、この本の中に書かれていた一節です。
この一説を読んでわたしは、「人間も同じだな~」と思いました。
人間の能力もデコボコしていて、字と同じように本来は正方形に収まらないはずなんです。
しかし、ここで邪魔をするのが学校教育
学校教育は人間を無理矢理正方形の枠に入れ、ぴたりと収めようとしています。
そうすることで、正方形に収められる文字のようにバランスが悪く不自然になってしまい、本来の特性を失ったつまらないものにしてしまう…
オールBを目指す教育
それじゃ本来その人が持っている能力が生かされないんじゃないのかな…
学校教育が人間の独自性を奪う害悪である、と考える一方で、
物事に取り組むうえで最低限のスキルの取得は必要である、
という考え方もあります。
代表的なのは資格の取得でしょう。
介護・福祉分野の資格に関していえば、この業界で生きていくために、最低限の知識や技術を得ることは有益ですから、学ぶ意義はあると思います。
かくいうわたしも、社会福祉士という資格をもっているわけで、、
一流に参入するためには基本的技術力は必須条件である。
と、この本にも書かれていますが、
資格を通して基本的技術力を身につけることは可能です。
資格は、自らの有している能力を証明してくれる武器という意味合いがあります。
「社会福祉士なんだから、バイスティックの7原則くらい知ってて使いこなせるよね?」
「はい、当然です」
というやりとりを、資格を通して無意識に行っているわけです。
問題は、そこから先です。
資格は、自分の能力を証明してくれますが、逆を返せば「わたしができる仕事は他の人もできますよ」っていう証明にもなってしまいます。
しかし、問題はそこから先である。
自分の世界を持たない者は、一人の人間の心を揺さぶることはできない。
役者も歌手も書家もまた然りである。
賞状や事務所の看板を頼まれて、相手の要望通りの、しっかりした楷書で書けなければ書家としては偽物である。
しかし個展において、賞状と同様の文字ばかり書いて見せる書家もいない。
それは作品とは呼べないからである。
賞状や看板をしっかりした楷書で書けることはもちろんできるけど、そんなものは「習字」であって、「書道」の域には達しないよっていうことです。
つまり、社会福祉士がバイスティックの7原則を使えることは当たり前であって、それができてもまだ「書道」の域には達してないよ、っていうことです。
「社会福祉士」という資格に頼っている状態は、まだまだ習字をやっているに過ぎません。
資格はあくまでもスタートラインです。
習字ではなく書道の域に達することように、資格を取った後どれだけ自分の独自性を出して伸ばしていけるかで、人の心を揺さぶることができる(アート)のではないでしょうか。
資格を持っているだけでは、だれでもできることを自分もできるようになったに過ぎませんから。
資格は大切ですが、資格という枠に収まることなく、自分独自のの能力を見い出して心揺さぶる支援ができるようになることが、社会福祉士としてのわたしの目下の課題であります。

