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ロックンロールは、いつだってマイノリティの側にあった。
権威への反抗、社会への違和感、不器用な叫び。
誰にも届かなくても、自分の声を鳴らす――そんな不格好な真っすぐさが、ロックの魅力だった。
マジョリティになった瞬間、それはもうロックじゃない。
安全圏からの「正しさ」は、ロックの魂を失わせる。
そんなロックンロールの精神に、どこか惹かれていた自分がいる。
そして気づけば、社会福祉士として仕事をするなかでも、「マイノリティでありたい」と願うようになっていた。
社会の片隅で声をあげられない人の隣にいたい。
主流に迎合せず、違和感を抱く感性を手放したくない。
そんな想いは、社会福祉士の志とも重なる部分がある。
だが同時に、それは危うい願望でもある。
「わかるふりをしたい」
「自分も“当事者”でいたい」
――そういう気持ちは、支援者のエゴになりうる。
わたしたちは、当事者になりきることはできない。
どれだけ想像し、共感しても、「その人」にはなれない。
社会福祉士の使命は、「あなたの気持ち、わかります」と言うことではない。
「わかろうとする努力をやめないこと」だ。
ロックンロールがマイノリティに寄り添いながら、決して“正義の押しつけ”をしないように、
社会福祉士もまた、相手の人生を背負うのではなく、その人自身が歩けるよう支える存在でありたい。
マイノリティであることは、目的ではない。
その感覚を手放さずにいようとする姿勢――それこそが、支援者にとっての“ロックンロール”なのかもしれない。
社会の構造を見据えながら、目の前のひとりに向き合い続ける。
マジョリティでもマイノリティでもない、その“間”に立つ覚悟こそ、
社会福祉士という職業の、本当の強さなのだと思う。