どーも!
Takumaです!
わたしは35歳の男で、現在は介護施設で“生活相談員”という仕事をしています。
わたしには3つ下の弟がいます。
弟は、病気により知的障害を抱えて生まれてきました。
療育手帳の等級は「A1」と、最重度です。
そんなわけで、わたしはいわゆる「きょうだい児」です。
きょうだい児とは、障害者の兄弟姉妹のことをいいます。
社会では障害者本人にフォーカスされることがあっても、きょうだい児の存在についてはあまり知られていません。
ですが、実はきょうだい児って結構悩みや問題を抱えがちなものなのです。
この記事では、こんなわたしと同じきょうだい児の方で、これから介護・福祉の道に進もうかどうか悩んでいる方に対して、実際の経験を元に、わたしの考えをお伝えしたいと思います。
何か少しでも、これからの進路の参考になるところがあれば嬉しいです。
障害のある弟の存在
わたしの弟は生まれたときから知的障害がありましたので、自分の中ではそれが当たり前の感覚でいました。
しかし、小学生になり周りの友達と比べる中で、どうしても弟の存在に対して負い目を感じてしまうようになりました。
弟の存在が恥ずかしかったんですね…
わたしの同級生に、軽度の知的障害の女の子がいました。
その子がみんなからからかわれているのを見て、きょうだい児としては感じる部分があるわけですよ。
わたしの弟は当時でいう養護学校へ通っていたので、周りに弟の存在が知れ渡ることはなかったのですが、
「障害のある弟のことを話すと、自分もからかいの対象になるのではないか」と、内心怯えていましたね。
ですから、自分からは弟の話はせず、兄弟の話になると話を変えようとしたり、その場を離れたり、意図的にその話題から避けるようにしていました。
この「弟の存在が恥ずかしい」っていう感情って、誰にも言えないんですよ。
もちろん、親にも言えない。
子どもながらに「親は大変なんだろうなぁ」って、何となく感じていましたし、「自分がそんな思いを抱いてるってことを親が知ったら、悲しむだろうなぁ」とかいう思いもありましたから、申し訳なくって伝えられませんでしたね。
わたしに限らず、きょうだい児って割とそういう傾向があるみたいです。
「親が大変だから、自分はいい子になって期待に応えなければ」っていう気持ちになりがちだったりするんですよね。
わたしはそんな感じの子どもでした。
わたしが福祉の道に進んだ理由
わたしが福祉の道に進もうと決めたのは、高校3年生のときでした。
わたしの高校はいわゆる進学校でしたので、周りは経済学部や法学部、教育学部などに進む人が多かったんです。
わたしも高2までは、経済学部を第一志望に考えていました。
しかし、経済学部に進んで何がしたい、ということまでは考えていませんでした。
ただ漠然と、「周りの雰囲気に合わせて自分も」というような感じでした。
高3になり、本格的に進路を決めなければならない時期がきました。
「特にやりたいこともないのなら、おそらく将来直面するであろう弟をめぐる諸問題のために、福祉の知識があると役に立つのではないか」と思ったのが、福祉の道を選んだきっかけです。
しかし、これは後になって知ることになるのですが、
きょうだい児は、自身の職業選択で福祉の仕事を選ぶ傾向が多いのだそうです。
きょうだい児には、親からの「弟の世話をしなければいけないから、あなたも協力してね」という声なき声を感じてしまう、という特徴があります。
要は、親に「いい顔」をしてしまうのです。
わたしはいわゆる「いい子」と言われるタイプでしたので、きっとそのような声なき声を敏感に感じて育ったのだと思います。
こうした傾向が、無意識のうちにわたしの職業選択に影響を与えていたのだと、後になって思うようになりました。
「いい子」の延長としての福祉の道。
そんなこんなで、わたしは福祉の道に進むことになりました。
福祉の仕事は給料安い
大学で福祉の勉強をして、社会福祉士の資格も取ることができ、今現在介護施設で働いているわけですが、
「給料安い」
急に現実的な話になるのですが、これは事実です。
参照:「【福祉とお金】介護施設勤務35歳大卒男性の年収を他職種と比較!」
金は全てではありません。
これは真実です。
ですが
金はめっちゃ大事。
これも真実です。
福祉の世界だけで見ると、今のところわたしは平均以上の給与を得ることができてはいます。
しかし、全産業でわたしと同世代の平均と比べると年収が100万近くも低いのです。
もしわたしが経済学部に進んで、大手の企業に就職なんてすることなんかできていたら、経済的には今よりも楽に生活することができていたでしょう。
大手でなくても、それなりの企業に就職していたら、今よりも年収は高かったはずです。
自立して生活していくために、お金はめっちゃ大事です。
結婚して家族を養っていくためにも、子どもを育てるためにも、お金は必要になります。
福祉の道を選ぶことで、平均年収が100万円近くも低くなるということは、経済的な自立の妨げにつながります。
感情だけで安易に福祉の道に進むと、現実問題として経済的なハンデを受けて生きることになります。
福祉という世界に身を置くことで、経済的に不安定になるリスクをある程度抱えるということを知ってほしいと思います。
ですから、よくよく考えて決めてほしいのです。
福祉の仕事を職業選択するにあたり、どのくらい稼げるかという観点で見ることは、重要なポイントのひとつだと思います。
きょうだい児は福祉の仕事に向いている
一方で、きょうだい児は福祉の仕事に向いている面があるのも事実です。
わたしが思う、きょうだい児が福祉の仕事に向いている理由を、ふたつ紹介したいと思います。
センス○状態からスタートできる
きょうだい児は、物心ついたときから障害を持ったきょうだいの世話をする両親の姿を見て育ちます。
ですから、知らず知らずのうちに福祉的な思考力が身についているんです。
これは、きょうだい児特有の能力といってもいいと思います。
センス○とでも言いましょうか、
つまり、福祉の考え方の基礎ができているんです。
きょうだい児のその能力は、武器になるとわたしは思います。
社会的弱者が何をされたら悲しいのか、どんなことをすると幸せになれるのか、を考えられる能力が標準装備されているわけです。
これが感覚値としてわかっているということは、福祉業界ではかなりのアドバンテージになります。
仕事にお金以外の価値を見い出すことができる
きょうだい児にとって福祉の仕事は、考え方によってはとても価値のあるものになります。
わたし個人の思いを話しますと、福祉の仕事を通して、単にお金を得ているだけじゃなく、生き方を学んでいるような気がします。
仕事を通して生き方を学ぶこと。
それは、お金には代えられない価値があると思います。
仕事を単にお金を稼ぐ手段だけではなく、自分の心を豊かにするツールにすることができるのは、福祉の仕事の大きなメリットだと思います。
(もちろん、収入が多ければそれに越したことはないですがね…)
特にきょうだい児は、福祉にお金以外の価値を見い出すのが得意です。
そりゃそうですよね。
多かれ少なかれ、障害のあるきょうだいを見ていかなければならないという事実がありますから、きょうだい児は人一倍福祉への興味関心が高いです。
その気持ちを逆手にとって、あえて福祉の仕事に就くことで、自分の興味関心をとことん追求していくのです。
そこに価値を見い出せば、仕事でお金以上の価値を得ることができます。
たとえ「親にいい顔がしたい」という動機で福祉を選んだとしても、自分が福祉に価値を見い出していれば、きょうだい児として育った環境を「いいきっかけだった」と肯定的に捉えることができます。
「仕事としてだけではなく生き方として福祉の道に進む」ということは、きょうだい児の進路選択のひとつの考え方として「あり」なんじゃないかと思います。
自分の人生は自分で決められる
福祉の道を選ぶ理由なんて人それぞれです。
綺麗事だけで福祉の道を勧める気はありません。
ですから、よくよく考えて、自分で判断して決めてほしいのです。
なぜなら、あなたの人生だからです。
あなたの人生は、障害のある兄弟のためのものでもなければ、親のためのものでもありません。
あなたのためのものです。
ですから、あなたのために生きてください。
自問自答を繰り返した結果、あなたが福祉の道に進むなら、それでいいと思います。
それは、あなたが判断した結果です。
そして、万が一福祉の道に進んで後悔しても、それはあなたの選んだ道です。
障害のある兄弟のせいや、親のせいではありません。
あなたが判断して、結果として後悔しているだけです。
わたし自身、「なんで福祉の世界に進んじゃったんだろう」と後悔したこともありました。
自分の置かれた環境を恨んだこともあります。
でもそれは、弟のせいでもなければ、両親のせいではありません。
自分で選んだ道なのです。
職業選択に正解なんてありません。
その職業を経験したことがないのに、やる前から「この職は自分に合っている」なんて分かりっこないですから。
いくら悩んで考えても、正解なんてないんですから、自分が今思った方に進んだほうが後悔はしないんじゃないかと思いますよ。
どうか、あなたの選択が後悔のないものになりますように。