家族・趣味

きょうだい児がきょうだい児の子どもの親になって見えたこと

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何を隠そう、わたし自身いわゆる「きょうだい児」です。

障害のある子の兄弟姉妹のことを、きょうだい児っていいます

わたしの3つ下の弟は、生まれながらに重度の障害をもっています。

そのため、わたしの両親は弟につきっきりにならざるを得ませんでした。

 

弟ばかりに手をかけていることを、両親は気にしていたようです。

しかし、障害のある弟に両親がつきっきりになることは多く、それは少なからずわたしの性格形成に影響があったように思います。

わたしは

「相手の顔色をうかがい、いい子でいる」

といった、きょうだい児によくみられるようなパーソナリティを獲得するに至りました。

 

そんなわたしが結婚して、長男、長女の父親になりました。

そして、2020年に長男が発達障害(ADHD)だと診断されました。

 

両親と同じ立場になって思うことは、

「障害のある子どものほうに意識が向きがち」

ということです。

進学のこと、友だちとの人間関係、集団行動、、心配は尽きません。

考えだしたらきりがない。

 

そんなあるとき、長男ばかりに目がいって、長女のことはあまり考えられていなかったことに気付いて、ハッとしました。

わたしと同じ、「きょうだい児」という立場の長女。

彼女は彼女で、きょうだい児であるわたしと同じようなことを経験するのかもしれません。

きょうだい児であることが原因で、コンプレックスを抱くこともあるかもしれない。

愛情を注がれていない、って感じるかもしれない。

長男に手をかける時間が多くなることで、長女にわたしと同じような思いにさせてしまうのではないかって、そう思うと心配になってしまいました。

 

岡田尊司さんの著書、『きょうだいコンプレックス』には、

親はあまねく公平に光を注ぐ太陽というよりも、しばしば不公平で、表裏のある、気まぐれな太陽でしかないというのが現実なのだ。

とあります。

 

親は、どうしてもこどもを平等に接することはできないのが現実なんだそうです。

この事実を、わたしなりにポジティブ解釈してみました。

いくら親が頑張って平等に接しようとしても、それは無理。

そりゃそうだよね。

だから、平等に接することができないことに負い目を感じずに、自分のできる範囲で、できることをやったらいいんじゃない。

完璧な親なんていないんだから。

きっとわたしの両親も、両親のできる範囲のことを精いっぱいわたしにしてくれていたのだと思います。

そう思うと、なんだかこんな自分のパーソナリティが愛おしく感じます。

 

わたしは、そんなわたしのきょうだい児としての経験を、これから少しでも長女のために使いたいなって思います。

自分のきょうだい児としての経験が子どもの役に立つかもしれないと思うと、これまでのきょうだい児としての経験も捨てたもんじゃないなって思えるものです。

 

 

この記事を最後まで読んでくださったあなた。

思ったことの垂れ流しみたいな文章でしたが、最後まで読んでくださってありがとうございました。

きっと、きょうだい児について興味のある方なのだと思います。

他にも何記事か書いています。

もし、興味があれば読んでみてください。

ではでは。

この記事を書いた人

takuma

生活相談員(社会福祉士・介護支援専門員)。

デイサービスとショートステイの「生活相談員」という仕事を10年以上続けています。

このサイト「生活相談員ラボ」では、「現役の強みを生かした、現場感覚のある情報発信」をコンセプトに、生活相談員をはじめたばかりの人やこれから生活相談員になる人の役に立つ記事を書いています。

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